公開日:2026年8月15日
退去のときに「壁のこの傷はあなたがつけたものですね」と言われて、記憶にないのに反論できなかった。賃貸でいちばん多いトラブルの一つがこれです。原状回復の費用は敷金から差し引かれ、足りなければ追加で請求されます。数万円から、場合によっては十数万円。しかも退去の立ち会いはたいてい30分ほどで、その場で判断を迫られます。
この状況をひっくり返せる唯一の材料が、入居時の記録です。「入居した日からこの傷はありました」と日付入りの写真で示せれば、話はそこで終わります。逆に記録がなければ、いつついた傷なのかを証明する手段がありません。入居直後の30分をどう使うかで、2年後の退去精算の結果が変わる。それくらい効果の差が大きい作業です。
入居時の記録は「念のため」ではなく、退去時に自分の負担範囲を決める唯一の証拠です。鍵を受け取った日に撮るからこそ意味があります。
記録の話に入る前に、負担の線引きを確認しておきます。ここを知らないと、記録を残しても何を主張していいのか分かりません。
2020年施行の改正民法では、賃借人の原状回復義務について「通常の使用および収益によって生じた損耗ならびに経年変化を除く」と明記されました。つまり、普通に住んでいて生じた劣化は借主の負担にならないということが、法律の条文として整理されたわけです。国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」も、同じ考え方で具体例を示しています。
| 区分 | 具体例 | 負担 |
|---|---|---|
| 経年変化・通常損耗 | 日照によるクロスの変色、畳の日焼け | 貸主 |
| 通常の使用による損耗 | 家具設置による床のへこみ、画鋲の穴 | 貸主 |
| 設備の自然な寿命 | 耐用年数を過ぎた設備の劣化 | 貸主 |
| 借主の不注意 | タバコのヤニ・臭い、結露を放置したカビ | 借主 |
| 故意・過失による破損 | 落書き、ペットによる傷、水漏れの放置 | 借主 |
| 手入れ不足 | 掃除を怠った油汚れ、水垢の固着 | 借主 |
※ 国土交通省ガイドラインの考え方にもとづく一般的な整理です。契約内容により異なる場合があります。
画鋲やピンの穴、家具の設置跡、日焼けによる変色は、原則として貸主負担です。ここを知っているだけで、退去時の交渉の前提が変わります。
ただし、契約書に特約が付いている場合は話が変わることがあります。「退去時のハウスクリーニング費用は借主負担とする」といった特約は、内容が明確で借主が合意していれば有効とされることがあります。契約時に特約の欄を読んでおくことも、記録と同じくらい大切です。
撮影は、荷物を運び込む前がベストです。家具を置いてしまうと、その裏側の状態を記録できなくなります。鍵を受け取ったら、引っ越し当日より前に一度だけ空の状態で入る時間を作れると理想的です。
写真は引き(部屋全体)と寄り(傷そのもの)の2枚セットで撮ってください。傷のアップだけだと、どの部屋のどの位置なのかが後から分かりません。全体を撮ってから、その中の気になる箇所に寄る。この順番を守るだけで、証拠としての力がまったく違います。
傷の横にメジャーや硬貨を置いて撮ると、大きさが客観的に伝わります。定規がなければ、スマホや小銭でも十分です。
動画も併用すると効率的です。玄関から入って各部屋を一周する動画を1本撮っておけば、写真では撮り忘れた箇所が映っていることがあります。話しながら撮って「玄関入って右の壁、ここに縦の傷があります」と音声で記録しておくと、後で見返したときに分かりやすくなります。
設備については、動作するかどうかも確認して記録してください。エアコンが冷えない、給湯器のお湯が出るまで異常に時間がかかる、換気扇から異音がする。こうした不具合は入居直後に伝えれば貸主負担で修理されますが、しばらく経ってから言うと「使い方の問題では」という話になりがちです。
引っ越し費用の目安を先に知っておくと、この記事の内容も判断しやすくなります。
30秒で相場をチェック(無料)→写真そのものより大事なのが、いつ撮ったかを証明できる状態にしておくことです。あとから撮った写真では意味がありません。
スマートフォンで撮影すれば、写真のExif情報に撮影日時が自動で記録されます。これが基本的な日付の証明になります。ただしExifは編集や加工で失われることがあるため、撮った写真は加工せず、そのままの状態でクラウドにバックアップしておいてください。GoogleフォトやiCloudに自動同期されていれば、アップロード日時も残ります。
| 方法 | 日付の証明力 | 手間 |
|---|---|---|
| スマホ撮影+クラウド自動同期 | 高い | 小 |
| 自分宛にメールで送る | 高い(送信日時が残る) | 小 |
| 管理会社へ提出して控えをもらう | 最も高い | 中 |
| 紙に印刷して保管 | 低い | 中 |
撮影した当日に、自分宛のメールに写真を添付して送っておくのが一番手軽で確実です。メールの送信日時が動かせない記録になります。
さらに強い方法が、管理会社への提出です。多くの管理会社は入居時チェックリスト(現況確認書)を用意しており、入居後1〜2週間以内に気づいた不具合を記入して返送する仕組みになっています。この書類が渡されたら必ず提出してください。提出したこと自体が記録になり、退去時にこれ以上ない材料になります。
チェックリストが渡されない場合は、自分から「入居時の状態を記録した写真をお送りしておきます」とメールで送っておく方法があります。返事がなくても、送信した事実が残ります。「言った・言わない」の争いを避けるには、文字とデータで残しておくのが確実です。
保管期間は、退去して敷金の精算が完了するまでです。2年契約なら2年以上、更新するならさらに延びます。スマホの機種変更で消えてしまうケースが多いので、クラウドか外部ストレージに必ず二重で置いておいてください。
退去の立ち会いでは、管理会社の担当者と一緒に室内を確認し、原状回復の範囲を決めていきます。ここで記録が生きます。
指摘された箇所について、入居時の写真に同じ傷が写っていれば、その場でスマホを見せて「入居時からありました」と伝えます。写真があると議論になりません。担当者もその場で確認できるので、話が早く済みます。逆に記録がないと、担当者の判断がそのまま通ってしまいます。
立ち会いのときは、入居時の写真をすぐ出せるようにアルバムでまとめておいてください。その場で探しはじめると、時間切れで押し切られます。
立ち会いの場で金額を提示され、その場でのサインを求められることがありますが、内容に納得できないなら急いで署名する必要はありません。「持ち帰って確認します」と伝えて構いません。署名すると合意したとみなされるため、疑問がある状態でサインするのは避けてください。
精算内容に納得できない場合の相談先も知っておくと安心です。各自治体の消費生活センター、国民生活センター、宅地建物取引業協会などが相談を受け付けています。金額が大きく話し合いがつかない場合は、少額訴訟という手段もあります。ただし多くのケースは、記録を示した時点で解決します。
退去時に自分でもう一度、同じ場所を同じ角度で撮っておくのもおすすめです。入居時と退去時の写真を並べれば、2年間でどれだけ変化したかが一目で分かります。これは自分の負担範囲を確認するためだけでなく、精算内容が妥当かを判断する材料にもなります。
入居時の記録について整理してきましたが、やること自体はシンプルです。鍵を受け取ったら、荷物を入れる前に、部屋の状態を撮って残す。それだけです。
撮る対象は、壁・天井・床・建具・窓・水回り・設備・収納の中・玄関・ベランダ。引きと寄りの2枚セットで、傷の横にメジャーや硬貨を置く。動画も1本撮っておく。設備は動作確認まで行う。ここまでで30分ほどです。
入居時の30分が、退去時の数万円を左右します。費用対効果でいえば、賃貸生活で最も割のいい作業です。
撮ったら、当日中に自分宛のメールに添付して送るか、クラウドに同期させる。管理会社から入居時チェックリストが渡されていれば、必ず記入して提出する。渡されていなければ、自分からメールで送っておく。ここまでやっておけば、退去時に困ることはまずありません。
そして、原状回復の線引きを知っておくこと。日焼けによるクロスの変色、家具の設置跡、画鋲の穴は原則として貸主負担です。この前提を持っているだけで、退去の立ち会いで不必要に譲る場面が減ります。
賃貸は、借りている間の快適さだけでなく、出ていくときの後味も含めて生活です。最初の30分の手間で、最後を気持ちよく終えられるなら、やらない理由はないと思います。
鍵を受け取ってから荷物を運び込む前が理想です。家具を置くとその裏側を記録できなくなります。引っ越し当日より前に一度空の状態で入れる時間を作れると確実ですが、難しければ搬入直前でも構いません。
国土交通省のガイドラインでは、画鋲やピンの穴のように下地ボードの張り替えが不要な程度のものは、通常の使用による損耗として貸主負担とされています。ただし契約の特約によって扱いが変わる場合があるため、契約書の特約欄も確認してください。
自分から管理会社へ、入居時の状態を記録した写真をメールで送っておくのがおすすめです。返事がなくても送信した事実が記録として残ります。あわせて自分宛のメールにも送っておくと、撮影日の証明になります。
内容に納得できない場合は、その場で署名する必要はありません。「持ち帰って確認します」と伝えて構いません。署名は合意とみなされるため、疑問が残る状態でのサインは避けてください。
退去時の原状回復トラブルは、ほとんどが「証明できないこと」から生まれます。傷があるかないかではなく、それがいつついたかが分からないから揉めるわけです。
だからこそ、入居した日に撮った日付入りの写真が決定的な力を持ちます。特別な道具も知識も要りません。スマホで撮って、クラウドに置いて、管理会社に一報入れる。それだけで、2年後の自分がずいぶん楽になります。
引っ越しは荷解きや手続きで慌ただしい時期ですが、鍵を受け取った直後の30分だけは記録のために使ってみてください。あとから取り返せない作業は、これくらいのものです。